人間のダルマ、個のダルマ

人間が持っている自由な意志と選択。

yes/no以外に曖昧で微妙なことにも、思考を巡らせるのは自由だからこそ。自由は人間を混乱させて本来の生き方をも見失わせる力もある。

サットヴァでいたいと思っていても、すぐ怠惰や欲情に引っ張られる。一瞬で。

火が火であるように、虫が虫であるように

牛が牛であるように、人も人。世界を維持するための自然なあり方がある。人間に与えられた「自由な意志」をどう使うかと問われている。


それは知性によって洗練され磨かれる。

ヨーガの世界で出てくる知性という言葉は、人の機能で言うと前頭葉なのだろうか。(それも超えて直観な気もするけど)

前頭葉は、理性で衝動的な欲求を抑制して、感覚や感情の情報と記憶を繋ぎ合わせ、計画立案、実行、修正、学習もする。

前頭前野を使えば実行のためのプロセスを

緻密に設定して準備もできる。


手足を器用につかえるのはそのおかげだ。

ただ寝て食べて遊んで、エゴや執着のフィルターを通る感覚を満たすためだけにあるのではないらしい。(耳が痛い)


タマスの要素から生まれた肉体にサットヴァな食事を。ラジャスの要素から生まれた手足や口にサットヴァな仕事を。それをバクティの基盤のもとで行う。

まず人間らしく生きることのダルマを果たし、その上に発揮される個の「らしさ」を磨く。必要な欲望なのか、そこから溢れ出る過剰な欲望なのか。ヴェーダを学び、それを冷静に見極めるための意志を育てる。


過去の記憶、環境や周りの人のせいにして

着色し、本来の純粋さを濁してしまっているフィルターを通して世界をみているのなら、そのフィルターを外す努力をしてみる。

数えきれないほどのフィルターを剥がすには時に痛みも伴う。だけどやる価値があるんだ。痛いのは生きているからだ。悩むのは変わることを望んでいるから。転んだのは前に進もうとしているから。

この世界は3つの縄で縛られている。重く暗いものより、粗く激しいものよりも、どっちみちフィルターかけてみるのなら、

純粋なものを選ぼう。そしてそれをも超える努力をしよう。

グナの海でもがきながら、「助けてください」と心をひらいて素直に全部を明け渡す。本当のじぶんとの関係を育むんだ。

時間をかけていい、今すぐじゃなくていい。焦らなくていい。


「そのままでいていいんだ。そのままの意味をよく考えてほしい。自分らしい、自然な生き方を選んでみて。サインはいろんな形で送ってる。だから、結果は全部わたしに任せなさい。」とクリシュナが言ってくださった気がした。

はじめての108回のチャンティング。

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